圧倒的にうつくしいということ
バックミュージックはこんな感じで。
[youtube]https://youtu.be/hQS7_xhREKk[/youtube]
ふっと思い出しました。
あれは、まだわたくしが25歳くらいだったとき。
バリ島でしあわせを満タンに感じているときでした。
個性的な夫婦が居て毎晩行きつけの店で出会います。日頃からそんなに話さなかったのだけれどたいへんうつくしい景色のステキな場所に住んでいるので見に行かないかと誘われて出かけていきました。
何を話したのかあまり覚えていないのだけれど、その夫婦は場所に対する敬意はあってもそこに住むバリ人に対しては批判的で延々と繰り返される辛辣な評価に心がぺしゃんこになってしまい手に追えないほど悲しくなってしまいました。たぶん、私の受け取り方も過敏であったと思うのだけどソコに居るのが身の毛がよだつほどイヤで、自分の持つ物差しを疑いもせず押し付ける傲慢さにとても腹を立ててしまいました。
私の友人のバリ人もひとからげにされて、反論する私をさらにひとからげに「困っちゃうのよね」的に軽くあしらわれて気絶寸前でその家を後にしました。
思うように通じず子どもだったら寝転がって手足をバタバタさせて泣き叫びたい気持ちでした。
目にいっぱい涙を浮かべて口はへの字になっていたと思います。
止めていたバイクにまたがって前を見ると、ものすごい夕焼けで視界に入りきらないヤシの木々の地平線にオレンジが広がっていて圧倒的にうつくしかった。その瞬間に何もかもがうつくしく洗い流されたのです。
心は急に静かになって、出来事とは何も関係がないのにその景色は全てを鎮めてしまいました。うつくしいものを見て心が洗われるってはよく聞いたフレーズですが、こういうことを言うのだと初めて経験しました。
もともと私が多感で単純だったからか、こんなことは抱えるものにもよるのかも知れないけど、圧倒的な表現ができるかもしれない。こんなことを今頃ふっと思い出したのは、理由や仕組みが説明できないような不思議とすこし近くなっているように感じました。きっとこれは大切なことだと思います。
また、6月になったらバリへ行ってきます。
今度は
どんなことが起きるか楽しみです。
写真はわたしがうんと悩んでいた時期に描いた絵で、バリ島のカフェアンカサで展示していたものを友人が写真に収めたものです。その友人はもうすでに亡くなってしまったのですが、バリ島を愛してたくさんの時間を観光客としてバリですごしました。この写真も先週、その友人のwebで偶然見つけました。きっと今度のバリで会えそうな気がします。