戦争をしないということは
、たとえ殺めることをした相手でもその考えを湧き上がる感情をぐっとこらえ聞き合い話し合うことだ。
卒倒しそうな言葉を吐いても、何がそうさせたのか何故そうなったかを思いやることだ。そして互いのしあわせを願い手伝い合う。戦うよりも難しいのかもしれない。
「お前の考えは、越えては行けない一線を越えた!だからお前はもう悪者で粗雑な扱いをされて当然だ!」というのは、戦争をする思考と同じことだと考えている。命がかからない些細なことでもそれが出来んのは前途多難すぎるので日々精進しようと思う。毎日を磨くのは、何のためにもほんとうに大切だと思う。
私たちは基本的人権というものを信じていて民主的な社会を築こうとしているのではなかったか。
私たちは基本全て肯定され尊重されてると私は考えてる。その肯定され尊重される者同士が接触する時に互いに不都合が起きる事が「問題」。そこを話し合い解決するのが基本的人権を守る民主的な考え方だと思う。
基本的人権をしっかり押さえて民主的に考え行えば、善悪っていう考え方が要らなくなっちゃう。使うところが無くなっちゃうのよ。
それは、敵を作らない無敵で最強な勇気ある愛に育っていくと思う。
イメージが意外に近いのは、おばあちゃんが孫たちを慰めしあわせを願う感じ。その時、おばあちゃんは苦労していない。手持ちの愛が深ければ容易いことになる。
ここは私のけんきゅうのしどころと思う。