生きること
「生きることから考える」
一昨年死んでしまった母との毎日を少しずつ細かく思い出しています。昔と違って、家の中で人が死ぬ事は無くなりました。家族が死んでいくという初めての経験に立ち向かうのがど素人な訳です。携帯だって、ネットだって、サポートがつく時代なのにですよ。ど素人一人で立ち向かったりする訳ですね。
うちの母は明らかに弱っていましたが、覚悟してはいましたが「あら、蘇ってる」「おりょ、ぜんぜん元気じゃん」と繰り返しておりましたので、半日くらい伏せってもムクッと蘇るようなつもりでいて、その通りしゃっきりと蘇ってました。けれど、細かく思い出していくと体の中で方々が終わっていっていたのですね。抱いて運んだのは一度だけでベッドに移るのも最後までほぼ自力でした。間に合わないと嫌だからと紙パンツを履く事もありましたけど、お尻を拭かせてくれるような事はありませんでした。でも、脳細胞はどんどん先に死んでいってたのだと思います。同じようにお腹の中や心臓や細かな血管は先に逝ってしまっていたと思います。
体の調子は、観察していても本人に聞いてもわからないときはわからないです。無理したのだと思いますが、無理したかったのだと思うので最後まで自分でやりたいところはできてよかったのだと思います。父も少しづつ弱くなってきました。いつも食事の前に自分でお茶の準備をして席につきますが、ときどきお茶無しで食事を始めます。こんなときは、ちょっと体調が良くない。立ち上がるのが億劫なのですね。ついでのようなふりをしてお茶を出します。けど、それが習慣になってしまうと体調の観察が出来なくなってしまうので気がつかないふりもします。あれこれ世話は焼きません。
母には機嫌よく生きることをもっとできたらよかったな、と思います。
長く生きたかどうかはあまりどうでもいい。
父が今しあわせかどうか。
父の子であるイカ君(弟)とわたしがしあわせに居られるには。
父に後どれほど時間があるかはわかりませんけどわたしよりも少ない。
わたしだって明日は目覚めないかもしれない。
今を壊すほど長生きに執着しない。
どうであれ今を機嫌よく互いに尊重しあえるように。
目を見て笑顔で話すようにして、長生きだけでなく、なんだったら長生きを捨ててでも、充実して満足する日々をおくって欲しいと思っています。それができるだけ長く続くようにと考えています。