父が亡くなったこと
一週間の関東オヨヨ(たのしいかった)旅を終えて帰って数日後に父が亡くなりました。
急なことでもあり、予兆は今となってはあちこちにあった。
私は、
魂は身体という器に入るもので
今世が終わり休憩して来世へと冒険を続けることを、
なぜかサクッと信じています。
後悔はないし、淋しいけどあの世での父を想像するとうれしい。
幸せそうでしかない。
子どもが手元から離れてしまった時、
母が亡くなる時、
そして、父が亡くなるという大きな出来事は
今、何が必要か、何に心を向ければ良いのか教えてくれる。
お父さんお母さん、ゆず(チワワ)また会う日まで。
鶏の丸焼きと、カニ、食べさせたかったな。
豚のマメは、京都の熊本復興イベントで偶然知り合った
香心ポークさんに送ってもらって滑り込みセーフだった。
お葬式は、母の時もお世話になった近所の葬儀場で行いました。
こういったシステムは、
私が幼少の頃から悶々としてきたことのオンパレードで、
二度目にもかかわらずいちいち新鮮にむかつくのですが、
変わってないということは社会のニーズを満たしているわけで。
この53年弱「よくぞごぶじで」と自分をねぎらいました。
この社会を生きるには、まあまあやっかいなわたくしです。
ご用意されている選択肢が、しょぼくてダサいのにめまいがして
本当に倒れました。
わたしも懲りたなら準備しとけよ。
次こそは、と思いますが順番では自分の葬儀です。