「なんの気力もわかない」とか

「元気が出ない」「孤独すぎる」「なんの気力もわかない」とかとか、抜け出せなくて自分に焦るとき。

自分に元気がなくなるのも、毎日にハリがなくなるのも、自分の自信がないのも、過去にあった辛いことに望まない影響を受け続けるのも、すべて、自分がそんな自分を「ダメだな」って思うからでさ。

「なんでダメだと思ってるの?」「どういう理由でダメなわけ?」「ダメだといったいどうなるの?」って突き詰めるとね、全部、自分が困ることじゃなくって、他人がどう思うかであったり、他人が自分のことを決めるのに従ってしまってるのだよ。他人からの評価が高い自分になるように、自分にずっと強いてきてるわけよ。

自分が本当はしたくないのに、自分のためにもならんのに、ずっと自分の指令に応えるために尽くしてきた自分が、ここらで病気になるのもわかる気がせん?

人生は自分を生ききることが目的な気がする。「順調に元気にご機嫌に」もいい人生。よぼよぼと落ち込んでいるとき、もう嫌だと立ち上がれないときこそ、自分の人生を生ききるために、耐えてきた自分が声を上げているのだと思う。自分を取り戻して自分を満喫するきっかけ。

人の目標は、誰もが認める何かいいものになることじゃないし、感心するところは人それぞれなんだから誰もに認められるなんてウソ、なれない。どれだけ優れているかどうかって、ほんとはこの世界でも関係ない。

わたしらが、なんの根拠もなく勝手に持ってる「ダメの基準」さえなかったら、正直に話し合うだろう。自分が何が得意で何が不得意か。できないことがあっていいなら、得意なところを何倍か担当して、不得意は誰かに担当してもらうお願いは自然やんね。一人ひとりが全部を持たず欠けてることこそがコミュニティの接着剤。なんでも一人でできることは、珍しいけれど羨ましく思ってみんなが目指すことではない。

赤ちゃんはそこに在るだけでうれしい。それは、赤ちゃんが天使だからではなく、赤ちゃんに「謎のダメ基準を持ち込んでないから」だとわたしは思う。赤ちゃんが好きでない人もいるけど、赤ちゃんで機嫌が良くなった人に優しくしてもらってるかもしれない。うまいこと循環していくわけ。

だからって、他人がどうするのがいいかは、ひとそれぞれでわたしにはわからん。これはわたしの経験によりわたしの考え。
けど、長い間しんぼうして唇噛み締めて張り切ってきた自分がよぼよぼなのに、労いもせんと「何やってるのダメじゃん。早く元気にならなきゃ」って叱咤したり困ったことだと悩んだり、書いてても涙が出る。
外に振り回される自分を、全力で守ってくれた自分。何十年しんぼうしてきたと思うんだ。

もしかもしか、「あ。じぶんもそうかも」と思ったら、
一緒にベッドに入って腕まくらしてあげてほしいし、海とかみながらどんなだったか耳を傾けてあげてほしい。ほんとうに、切ないほど可愛いもう一人の自分がいる。自分のために大きく手を広げて、何ものからも守ってくれていた自分を見つけて、なんだったらハネムーンに出かけてくれ。わたしは出かける。
たくさん生きて、いろいろやってみた。外の基準はもう十分経験したので
今度は、こっちの自分が全力でお守りする。


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