名古屋港区子ども祭りにあかつぶブース出しました。

子どもまつりで放射線のお勉強ワークショップをしました。
詳細は、またあらためてアップするね。

よかったこと、いっぱいあったんだよ。

60人も参加してくれたよ。^^

きょうは、気になったことだけ。

フェイスブックに書いたこと転載するね。

これ、私が今突き当たってる壁なんだ。

どうしていこう?みんなはどうおもっている?

これからに役立てたい。いろんな角度からコメントプリーズ。

———————————————————–

「放射線について過剰に騒ぎたくない。」
「原子力発電所を無くすことは出来ない。
電力が足りないから大変なことになる。」
港の子どもまつりでワークショップをやった時の気になった反応だ。
これは、十分知っての反応なら選択の自由だけど、
つっこむと実は何も知らない。
わからないから騒がない?
「電気が足りるか」という問題と「安全かどうか」という問題が
なぜ同じステージで考えられる?これは切り離すべきことだ。
これだけの被害があって、何故自分の生活を省みないか。

私が調べて考えた結果はこうだ。
「被曝がどの程度で危険であるかの証明はどんな専門家もまだ出来ていない。」
と、いうことは同時に「安全である証明も出来ていない」ということだ。
笑っていれば大丈夫、毎日食べたって~ベクレルなら大丈夫とされていた放射性物質、案外やばいんじゃね?っという例が大量に出てきている。
でも、どんなに大量に出てきたって放射線が原因だって証明する手段はない。
これらの被害は、何が原因かわからないけど、実際に起きていることだ。
「もしかしたら、大丈夫じゃないかもしれない」ということだ。
放射線のことを知らずに、どれくらい騒ぐのが「過剰」かどうかわかるだろうか?
無関心だった中部の人が、気がついたときにどうなるのか。
自分が放射線宝くじにエントリーしてることを知らなきゃいけない。
一等を引くひとは、どこにいるのかわからんのだよ。
今の日本の状況なら「遠いから大丈夫」じゃないんだよ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
安全かどうかわからないものを、子どもの給食に出すような国、
福島で起きていることを許すような国に生きている怖さを感じないだろうか。
ここ、中部ではときどき、羊の群れを見ているような気持になる。
羊は私たち。毛を刈られ、かわいい子羊は肉にされる。

偏見を捨ててもう一度考え直したい。

全てを知ってから選ぶべきだよ。

命がかかってるんだから。

 

よろしければコメントを残してください

CAPTCHA


訪問中 :