放射線を勉強する前に
放射線を勉強する前に
心しておかなきゃならんことがある。
放射線に詳しくなっても、年間何ミリシーベルトで病気になるかは
世界中の偉い学者さんも「わからない」んだよ。
これくらいなら平気、少しでも危ない、どっちも「わからない」んだ。
私たちが、間違えたのは放射性物質の取り扱いじゃない。
自分こそが正しくて、その正義を叶えるためには
他を犠牲にしてもしょうがないと思ったことだ。
正義や望みは自分の考えたこのひとつじゃない。
一番だいじな事は、それぞれの考えを尊重する事だ。
自分の頭と心で考えて、
放射線にまったく触りたくない人も、
ちょこっとなら大丈夫だと思う人も、
放射線なんか気にしない人も、
自分の納得して選ぶ生き方を出来るように、
その方法を相談するんだよ。
私は、電気のためにつくられた放射線は浴びたくない。
けれど、自分こそが正義だと他を認めない思考は、もっと多くの間違いを起こすと思っている。
それぞれ大切にするものは違う。違っていいんだ。
そして
生き方は選べるものだ。
その権利と責任は個人にある。
けれど叶えるためにお互いさまで協力するんだ。
だから勉強するんだ。
そして、選べる世の中にするんだ。
今まで、いいことを考えついて世の中を良くしようとしても上手くいかなかったのは、
みんなが同じ事を考えて、同じように幸せを感じるんだと思い込んだ事だと思う。
正しいと思えば思うほど、他を拒否する心じゃないの?
本当は、さまざまな考えや価値観のものが自由に調和しているのが
ステキなんじゃないのか。
自分の望む正義じゃない事を憎む心が間違いだったじゃないの?
それが出来るのが人間の能力じゃないのか。
だから心があるのじゃないのか。
私は、そんな風に思います。
原発反対の前に、放射能の勉強の前に、基本姿勢を間違えると
正義を盾に人も自分も痛めつける。
〈補足しとく〉
原発も無くていいし、原発の放射線からは誰もが守られていいと思う。
それが正義だと思うかもしれないけど、今ある定義の正義なんてみんなおかしいと思う。
ただね、大人の事情の外で子どもは過剰に守りたい。
善悪じゃなく、憎む心も越えて。
偏見もレッテルを貼る事もやめて、進みたいと思うんだ。
それでやっと、今までと違う本当の話し合いが出来るスタートに立てると思う。
いまの想い。
自分の心と通じています。
正しいのか正しくないのか?
それだけで敵対しぶつかり合うより、受け入れ認めたうえで共有し考えていくことが大切なのだと思います。
子どもという共通の宝たちを守るためには過ちを受け止めた上で、ともに歩んでいくことが必要ですね。