3月11日に

わからん。3月の11日をどう黙祷していいのか。
私の考えていたように物事は進まん。
天に召されたいのちは、今を心配しとるやろうに。
ごめんね。
「やすらかにいけんわ!」と怒られそうや。

けど、お母さんはきっと、夫や子どもががんばっとるのを見て喜んどるかもしれん。
自分が死んでしまった事より子どもの成長を喜んどるかもしれん。
私が先に逝ってしまった母さんなら、
先に逝ってしまった私の無念を思って心を痛めるより、
子どもらの頑張りを褒めることが出来ないでいてもどかしいのを想像して欲しいかもしれん。
「聞こえるかな、ほめたいよ、あんたたちが生きているのをよろこんどるよ」
そう伝わって欲しいと思う。
「丈夫になって元気で笑っていてね。」
周りの人には、どうか子どもたちがしあわせをつかめるよう力を伸ばしてあげて欲しいと願うやろう。

私は役に立つやろうか、気がついてないいいアイデアはないやろうか。

さして頭の回転も速くないから、身に付くまでにも時間がかかるから
何度も何度も同じ事を考えて色んな実験を重ねて来た。

考える時間を惜しまず考え続けて、何があってもあきらめない、
何度転んでも起き上がれるように
のびのびと悲しんでのびのびと喜べるようにできる事を手当たり次第やってみてきた。

私はたぶん、人が死んでしまう悲しみに丈夫なところがある
それはいのちに対する考え方や持って産まれた性質なんだと思う。
そんな私が、想像もつかない現実を想像して、わざわざ悲しむのは違う気がするんだ。
私は被災地から遠い当事者で、悲しんだり嘆いたりするのは、それが必要な人が居ると思っている。
そういう性質を持った私が元気で居ないでどうするんだと思う。

「失ったものは戻らないけど、あれから世の中も人も自分も変わってね、想像もできないようなしあわせに包まれて暮らすことが出来るようになったよ。これから産まれてくるいのちも、本当にのびのびとくらせる、こんなステキなことはないよ」
そういってもらえるよう、はりきっていく事を約束する。
だから、もどかしいかもしれないけど応援しててね。

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