今日は「もの」から考えてみた。

私にとって
使いやすいものは「よけいなことがされていない」ものだ。
使い手の工夫を足したり組み合わせたりできる余白を残しているものだと思う。
自分独自のアイデアをプラスして完成させる愉しみを奪わない。
そんなものは佇まいもうつくしいと思う。

これは私の今の考えで、こどもが小さかった数年前の私には佇まいより時間が欲しかったから、自分がどんな理由で今のライフスタイルを選んでるのかによって、今にあうものが違ってくる。

いつか、多くの人が楽しむのは自分を活かす余白だと思う。
まだみなが楽しむほど世の仕組のほうが整っていないだけで。

人は選んでいるライフスタイルによって
様々な階層に暮らしていて、階層それぞれに文化があって、
さらに細かくひとりひとりの文化がある。
それぞれの階層でそれににあう商品も作られている。
だから、商品に意見する時に自分の階層にあるのか注意して考える。
ままならぬ世の中も頭に入れて。
これは、どんなことにも言えることでこの辺りの混ぜこぜを整理することがとても重要だと思う。

これも『つもりの共有』だとおもう。
答えを出すために考える条件が違うこと。
それは、その人の背景で違うってこと。
それが解ってくると永遠に続けられる全ての成長のプロセスが愉しくなる。

まだ表現しきれないけれど、バラバラだった考えが集まり始めて、イソイソする柚木です。
色んな出来事が、ひとつのことを教えようとしてくれてる気がします。

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