また会えるのを楽しみに
大切な人の家族が亡くなりました。
たくさんのいのちが、色んなカタチで終わっていきます。
みよちゃんの終わりに、関わった私も、他の人たちも同じように悲しみに包まれるのだと思う。
自分に起きたことが、どんなことだったのか、みよちゃんが死んで四ヶ月経っても、
カンナが死んで何年も経っても今わかってくることがある。
その大きさはいつも書き替えられる。
どれがどれよりどうだとか、どれが先で後とか、そんなものは何も無くて
心の痛みや切なさ、愛しさは、ソコでそれぞれにょきにょきとソコに在る。
関わったことは、私の命が終わるまで(もしかしたら終わってからも)影響し続けるのだと思う。
私は少し安心した。もし、今死んでも、子どもにずっと影響し続けることが出来る。
どう影響するか、私には決められないけれど、そもそも生きていてもそれは不可能。
私が死んだなら、みなできる限りの今のいのちを生きることに集中してくれるとうれしいだろうな。
なにもかも、今自分のいのちを生かすことにつながっているのだなと
私は信じている。
誰が望んでも望まなくても、私はそう信じて望む。
私とともに、全ては生き続ける。
私を生かす。
また会えるのを楽しみに、あなたの命に関わったからこそ出来た冒険を、たくさん経験しておきたい。
私が置いて先に逝く時も、それが残したものを暖かく包み照らすと思う。
お久しぶりです。はるかです。
たまにブログを見させてもらってます。
私も5月2日に祖母が腎不全で亡くなりました。
私は1歳から両親が離婚し母子家庭で育ち
母が仕事で私の面倒もままならない時から
亡くなる日までずっと一番近くで見ていてくれて
誰よりも愛情を注いでくれた祖母でした。
亡くなる2ヶ月前から
璃月と私が一緒に祖母の家で住みはじめ
寝たきりになりご飯も食べられなくなり
それでも亡くなる前の日まで
力を振り絞って名前を呼んでくれた事は
一生忘れないと思います。
最期まで祖母のそばにいれて良かった。
お世話できて良かったと思います。
祖母の体調が悪くなって入院した時。
私は叔父に怒鳴られました。
「おばあがああなったのはお前のせいや」って。
未だに頭に残っています。
私の母や祖母がどれだけ「遥のせいじゃないよ」って
言ってくれてもずっと引っかかってました。
だから祖母が亡くなった時
私の口から出た言葉は「ごめんなさい」でした。
書き出したらキリがないんですが
こんな私でもまた祖母と会えますよね…
長々と乱文長文すいませんでした。
またブログ覗きにきますね。
お身体に気をつけて仕事頑張って下さい。
おばあちゃんにはまた会えるで、気になるなら、そのときおばあちゃんに聞けばええと思うよ。
でも、大丈夫だ。おばあちゃんはもう全部知ってる。
大好きだと言うとるよ。
また、メールするね。