メモ
認めよう!じゃなくて、認められなくても個人の自由は迫害される理由がないってことを共通認識にするってことじゃないかしら?自分の自由に誰の許可もいらない、誰の自由にも協力を惜しまないってこと。「叶える」しかないってこと。どう叶えるか方法を考えるのが問題に取り組むということ。
他を犠牲にしないために。
これで全部考えられるし、この方法がいいと思う。
みんなが好き勝手しちゃうんじゃないか?
いいじゃない、好き勝手しても、他を犠牲にしないってツボ押さえていれば。
「手伝うからお好きにどうぞ」
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認めて!って、自由に許可がいることになっちゃうんだ。
そのロジックから抜けないから、全てがなんだかおかしいんだと思う。
概念を変えるってことは、そんなトリックをどうやって外していくかじゃないのかな。
知恵の輪みたいでおもしろいな。