たりんのはワタシの愛か

いまの社会で「子どもは未来からの贈りもの」とか思えるんだろうか。
みんなが子どもを愛して、子どももみんなを愛して
誰もがしあわせを願いあって手伝いあっていけるような社会じゃなくなってると思う。
子どもだけ愛されればいいわけでないでしょ。
みな愛されてるんだろうか。
愛されていないのに、突然愛せ愛せと言われてもなんだよって思うんじゃないか。

生活も関わりも、こんなに分け分けされちゃって
触ったことも無いものを愛せよ愛せよ言っても難しいんじゃないか。
みんな大人になっても子どもの心は残っていて、
それぞれ戦争のような出来事を越えててる最中かもしれない。

自分の知らない人はそこそこしあわせで豊かで、
無関心だから問題を放っておけるのだと無意識に決めてないかと思う。
いろんな人と話していくうちに、
比べることの出来ない悲しみや痛みを持っていない人は居ないんじゃないかと思うようになった。
何があるのかわからない。
いままでどんな人生を送ってきたかも。

たりないのは「愛」にちがいない。
アナタにたりないんじゃなくてワタシにたりなかったかもしれん。
人の心を疑っていいほど、世の中は成熟していない。
最近つくづく思うのであった。

来年はいろんな人に会いに旅にでたいと思う。

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