100年の呪い
呪いが解けつつある。
昨日話てて私はこんな事を言った。
「他人の困った部分が楽しめるようになった」と。
「たぶん、他人の刃を自分に向けないことができるようになったからだと思う」って。
これは、自分の刃を他人に向けることが無くなったからじゃないか。
人のせいにしないって難しかった。
アナタのせいじゃ無かったら私のせいなのかって考えるときつい。
でも、違ったんだね。
生まれた不快感は連動するけど、原因は連動していなかったんだ。
「いやだな」が先走らなくなった。
「なぜだろう?」が先に出て来るようになった。
いじわるされても、怒られても、悲しまれてもオロオロしなくなった。
私の困った部分は気にしないどくれ。
私が悲しんでも怒っても傷ついても、自分の生産物だと知っている。
いのち閉じるまで、どれだけ深められるだろう。
勇魚や景に伝えられるだろうか。
いろんな状態にあるいのちが絶えがたい心の痛みから解放されるよう寿いでいきたいものである。
とか、考えている。