じつはちょっと前から悩んでいる
死ぬのは悪いことなんだろうか
生きないのが生かさないのが残念なだけで、死ぬのはそう悪くないかもしれない。
私は選びたい。満喫して生きる。
ご飯の心配が無いよりも、絶対の安全よりも、自由がいい。
野良猫のことを考えたの。
「エサを与え去勢しましょう。飼い主を見つけましょう。」
一匹の虫も殺さない人でも猫の虚勢はいいことだと考える。
私が猫だったらまっぴらごめんだ。
猫が増えすぎて猫は困るの?
砂場がおしっこだらけになるのは困ること?
にゃ~にゃ~盛るのは迷惑なの?
俺たちの邪魔になるから去勢しとこう。
社会と折り合って猫たちを守るために?
猫からしたら狂気だと思う。
そんなんで子どもを産めない身体にするなら、人間なんてとっくに去勢され間引かれる。
生き物は飢えて死んだらいけないだろうか。
死ぬのにまかせて生かしたら残酷だろうか。
私は猫で不自由したことが無いからわからんのか。
彼らは自然環境だ。
環境に合わせ苦労をするように、生き物も自然の災害と同じに抗わず受け入れられんか。
おしっこがイヤなら家を囲わなくちゃならないかもしれない。
鳴き声がうるさいならペアガラスの窓にしなきゃならんかもしれん。
彼らもこの自然の一部なのに、大雪と同じように接することが出来んのはなんでだろう。
本当にわからん。
でも、去勢されても長生きしたい猫も居るかもしれない。
多少のすり抜けがあってちょうどいいかもしれない。
自分の希望する猫生を歩める猫が増えますように。
ねえ、猫さん、どっちがいいの?
十数年前、ココという猫を飼っていた。
引っ越し先は生き物が飼えず、死んだお婆ちゃんの愛猫シロちゃんも居たので、
もと亭主に引き取ってもらった。
シロちゃんは3メートルしか外の世界を歩いたことが無かったから死ぬまでもと亭主と過ごした。
ココは、毎日外で過ごし帰らない日が多くなった。
もと亭主はココの帰りを待たず引っ越してしまった。
ココは野良猫になった。
ダメだと思ったけれど、ココはしあわせな気がして探さなかった。
むかぁ〜し読んだ育児書で「三歳の子どもがゴルフ場のグリーンの上を三輪車で走り回るのを悪と言えるだろうか」みたいなことが書いてあって
その育児書は私が読んだ時にはもう古いもので昭和な香りがするものだったけど、おおらかさが怪我をすること心配事などに対して至る所に染み出ていて厳しく固い愛に包まれ始めた育児の流行の中で、深呼吸が出来たのを覚えている。子どもは適度に放っておかれ、かまわれ過ぎない。
子どもだけでなく、おとな同士もおおらかに許し合う。
うちにはどこかの猫が遊びにくる。
ガレージに仮置きしてる私の荷物におしっこをしたり、拾ってきたお魚の空き缶がコレクションされたり、冬の間住んでて毛まるけになってたりするけれど
家族も自然に貯まるホコリのように対応している。明け方に鳴く声が不気味&うるさく毎朝目が覚めることもある。
機嫌が悪いと悪態をついたりするけどそんなに問題じゃないよ。
でも、これはうちの話しでうちの対応が正しいわけでは絶対にない。
去勢しするのが良いこととして認識されてるのが奇妙だと私は思う。
嫌いやイヤは好きと同じにあっていいと思う。
みんなが同じ考えになる必要があるとは思わないけれど、考えて向き合うべき社会の矛盾だと思うんだ。