人への対応が距離に準じてない件

自分の子どもに対して他の人と違うのは、もしか子によって殺されても何で苦しめられても子のしあわせを願うことだと思う。稀なことではないかと思っていたけれど子どもに限定し無くても良さそう。
なかなかその境地には行けんが、精神を病むほど追い詰められたことがあっても相手を愛しく思いしあわせを願う経験は済んでる。

恋人や親友と思えるのはどんなことかと考えると、もしか何事か起こっても一緒に転んで立ち上がることが苦でないというか、うれしかったりする感じではないかと思っていて、ぐっと距離を縮めてお近くに佇むことができる。稀なことではあるけれど、どうも恋人や家族、親友と口にすることを思いもつか無くても転んでも平気だったりする経験もできてきた。

うっかりするとお近くの人をないがしろにして(そう見えるらしいが)身も心も遠方の人にエネルギーを注いだりしてしまうけれど、それって違うのかもしれないと思っていた。それが稀どころか距離と比例させることが難しいという比例させることが稀。
やろうとおもうと難しいのは、距離と対応の法則を信心していたけど、じつはあんまり関係ないんじゃないか。

この世で一人わたしを愛してくれる人が、他所を向いたら何故こんなに淋しく思うのか。
あんまり関係ないんじゃないか。
よろこび祝うことは、ここにいてねと繋いでおかなくていい。

ムラがすごくあるから博愛ではないと思うし、博愛がいいとは思えない。
確かにアナタだから「ねえ愛してる?」と「ご機嫌はいかが?」と同じポジションにいる秋の朝。

knapa

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