日々のこと

「風が吹くとき」見ちゃった。

うーん、イライラしますね。

なんなのよ、あのぼんやりした感じ。

やー、あんな感じなんでしょうね。

どうしようもない現実に、巻き込まれていく。

「この世界の片隅に」もどうしようもない現実がある。

「この世界の片隅に」見たほうがいいよ!

けど、なんで見たほうがいいのかは語られない。

わたしは先に、原作の漫画を読んだ。

辞書に抵抗という言葉が無いみたいに、

ほんわかと日々に馴染んでいくすずさんが怖かった。

喜びさえ見出して。

誰もが感動する映画だと言い合うのも怖かった。

血こそ流れないけれど、ぼんやりと、

どうしようもない現実に折れているままの日常にイライラした。

どうしようもないのハードル低すぎねえ?

地面にめり込んでなきゃ飛べないのか。

身の回りで何人死んだって、「今を大切に生きよう」なんて決心を

何度もなんども忘れてきたのに映画くらいで泣いても変わらない。

人は、恐ろしいほど、自分には関係ないとぼんやりしてしまう生き物。

何かのせいにして自分が殺したものを見ない生き物。

可愛らしく、あたたかでもあって、

したたかで、図太くて、冷血でもあるんだと思う。

社会の常識から言えば。

 

爆弾が降り続けば、その合間に「たぶん大丈夫だろう」と

テーブルを出してお茶を入れるのだと思う。

そのたくましさを、無いことにして

くだらないことに従わなくてもいいと思うんだけどな。

この世のぜんぶ、人という生き物の特性を解釈して、

人が作り上げてきたことだもの。

気に入ったところだけで傷ついたり弱ったり、

喜んだり、感動したり、怒ったり、

それこそ、

映画を作るように人生を作っているのだと思う。

人の特性も、人生の作り方も、

たぶん、それは悪くない。

ライオンは「君はアリだ」と育てられて来たんじゃないか。

抑圧して支配したいと思って社会はできてきたのじゃないの?

それの修正ってどこでされたんだっけ。

抑圧と支配がなければ、起きるのかな。

ひどいことって。

ほんとはたくましい自分の設定を自分が変える余地は無いのか。

当たり前をそのまま受け入れると

うっかり視界が曇る。

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